運送事業者レポート
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運送事業者、荷主における新たな取り組みや成功事例にスポットをあてたインタビュー記事。(毎月第1週に更新)

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【第46回】 有限会社山城運輸(岩手県陸前高田市)

40p差で津波を免れ力強く事業を復興



 東日本大震災から約3年5カ月が経つ。筆者はこの間、被災した事業者を訪ねて不定期ではあるが取材を続けている。今回は山城運輸(岩手県陸前高田市、加藤隆社長)を紹介することにしよう。東日本大震災は甚大な被害をもたらしたが、同時に、運不運は紙一重の差という実態も目の当たりにする。

 山城運輸は、社長の自宅は津波の被害に遭ったが(全壊ではない)、会社は僅か40pの差で辛うじて被害を免れた。気仙川の支流の矢作川が、気仙川と合流する少し上流に廻館橋がある。その橋の少し上流の気仙川沿いに同社はある。広田湾から押し寄せてきた津波は、廻館橋より下流にかかる橋は破壊してしまったが廻館橋は無事だった。この廻館橋に瓦礫がつまったために遡上してきた津波が左右に分散され、支流の矢作川沿いにも遡上した。それによって同社の脇を流れている気仙川の水位が多少低くなったために会社の施設などは津波の被害から免れたようだ。

 加藤社長は震災当日、釜石駅の近くで開かれた会議に出席していたが、地震の大きな揺れで全員が建物の外にでて、その10分後に解散になった。そこで山手の道を遠野市に向かい、住田町経由で会社に向かっていた。その途中で津波が発生していたのだが、会社の近くに来るまでは津波を知らなかった。会社より3kmぐらい上流の気仙川沿いに瓦礫が散乱していたので会社が心配になったという。

 一方、会社では津波が来る前に社長夫人が1人だけ会社に残り、事務所や整備工場などで働いている全員を自宅に帰した。このうちの1人のドライバーが自宅に帰って亡くなられてしまった。全員を帰した後に、気仙川に沿って津波が遡上してきた。さらに大きな津波がくるかも分からない。だが、会社の敷地には何台かの大型トラックが気仙川に近い位置に止まっていた。その中には、まだ納車されて間もない新車のパッカー車も2台含まれていた。

 トラックを守るためには車両を少しでも高い所に移動させなければならない。同社の脇の道路を海とは反対側に向かえば標高が高くなるのだが、上の方はすでに警察が通行止めにしている。そこで、会社から300mぐらい下ったあたりの部分的に上り勾配になっている路上に車両を移動させることにした。そこより下は瓦礫が押し寄せているので、道路を車が上ってくることができないために、路上に駐車しておいても大丈夫だったからだ。いったん家に帰った社員の1人が、家は無事だったと会社に戻ってきていたので、2人で車両を移動させたのである。津波では社員がもう1人亡くなってしまった。大船渡で仕事を終って、自宅に帰る途中で津波に遭ったのか、あるいは家に帰ってからだったのかは分からないという。自宅には足の不自由な父親がいる社員だった。当時の保有車両は42台で、そのうち7t冷凍車1台、4t冷凍車4台、2t平ボディ車1台の計6台が被害に遭った。



 震災直後は混乱して連絡が取れず「避難所や遺体の安置所などを確認して歩いた」(加藤社長)が、全員の確認をとるのに4、5日かかった。無事だった社員も瓦礫の処理や、親戚に被災者がいたり、地元の消防団の捜索活動に参加したりと、全員が揃うまでには約1カ月かかった。会社としても「家族などを最優先して、会社に出てこれるようになったら出てくるように」(加藤社長)という方針だったので、仕事として軌道に乗ってきたのは4月中旬ぐらいからである。

 なお、不運にして亡くなった社員2人にはそれぞれ小さな子供がいる。「子供たちが高校を卒業するまでは、できる限り見守って行きたい」(加藤社長)という。事業の復旧・復興に関しては、様ざまな条件が同社に幸いした。山城運輸には自車両の整備工場があったことや、燃料のインタンクをもっていたことがその後の事業復興に有利に働くことになった。さらに、同社の立地条件も結果的には良かったことになる。

 同社は津波の被害が及んだ地域と免れた地域の境界線近くに位置している。そのため同社が消防、警察、自衛隊、復旧関係車両などの最前線基地になったのである。同業者のトラックも何台か一時的に避難させていた。これらの車両の整備や修理も整備工場で行い、その後は一般の仕事も請けるようになった。インタンクも自家給油だけではなく、現在では復興関係のダンプなどに軽油を販売している。

 仕事面では、被災した荷主もあったが、多様な荷主と取引をしていたために、比較的少ない影響ですんだ。震災前と変わりなく忙しい荷主もある。また、同業者から要請があって運ぶようになったケースもある。さらに地元の復旧・復興に関連した仕事なども始めている。このようななかで同社では、4月からの運賃値上げ要請で取材時点では半数以上の取引先で値上げが実現し、残りの荷主には引き続き交渉中だ。このように山城運輸は力強く事業の復興を進めている。

<物流ジャーナリスト 森田富士夫>