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運送事業者レポート

運送事業者、荷主における新たな取り組みや成功事例にスポットをあてたインタビュー記事

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【第146回】    日豊高速運輸株式会社(愛知県刈谷市)

新本社が完成し2年後の50周年とあわせ意識改革を図る

 日豊高速運輸(本社・刈谷市、出口達也社長)の新社屋が完成し、11月21日から新社屋で業務を開始した。刈谷市への本社移転は長年の念願だった。同社の設立は1974年4月。その後、1979年に本社営業所を安城市に移し、安城市を本社に事業を行ってきた。そのような中で2015年には刈谷物流センターを新築開設した。ほぼ同時に本社の移転も考えていたが、用地確保などの関係もあって、今回、刈谷物流センターに隣接する場所に新本社を建設して移転することになったもの。同社は2024年に創立50周年を迎える。日豊高速運輸は設立以来、大手自動車メーカーの仕事を中心に事業を行ってきた。周知のように自動車部品輸送では「必要な物を、必要な量だけ、必要な時に」というレベルの高い物流サービスが求められ、同社もノウハウを培ってきた。だが、自動車に加えてもう一つの柱をつくるため、新社屋完成と50周年を機に意識改革を図っている。

 同社は本社の他に安城営業所(安城市)、豊田営業所(豊田市)、刈谷営業所をもつ。事業内容は一般貨物自動車運送事業、貨物利用運送事業、荷役作業請負・梱包・開梱、物流センター管理運営、産業廃棄物・特別管理産業廃棄物収集運搬などである。2022年9月期は売上高が21億1270万円で経常利益率2%。社員数は130人で、保有車両数は105台(大型車80%、4t車20%)である。部門別の売上比率を見ると、自動車部品輸送部門が92%(部門内の内訳は輸送90%、物流センター管理運営10%)、一般貨物輸送部門が8%となっている。自動車部品輸送が圧倒的に多い。これは同社の設立経緯にも起因するが、これまでは自動車部品輸送が100%だった。いうまでもなく自動車産業はすそ野が広く、長年にわたって日本経済をけん引してきた。だが、その自動車産業が現在、大きな転換期を迎え「100年に1度のイノベーション」とも言われている。

 日豊高速運輸も、このような過度期にあって従来の経営基盤であった自動車部品輸送だけではなく、新たな輸送品目を開拓しなければならなくなっている。一つの産業の荷物だけでは取引先工場の稼働状況などに左右されるからである。それを物語っているのが同社の決算内容だ。直近の業績をみると20年9月期は売上げ利益率とも前年度からかなり落ち込んだ。明らかにコロナの影響とみて良い。21年9月期ではコロナの影響のボトムを脱して回復基調になってきた。売上はまだコロナ前まで回復していないが、利益率はコロナ以前に戻っている。22年9月期には売上高がコロナ前に近づいてきたが、利益率は下がった。これは「土地の取得など(新本社移転地など)、燃料費の高騰、それに車両への投資が利益率低下の理由」(出口社長)である。土地取得などは新社屋建設とあわせて理解できるし、燃料費の高騰も同社だけではなく業界全体の収益性低下の原因になっている。

 そこで「車両への投資」だが、海上コン輸送のヘッドを導入したのである。実はこれは売上高がコロナ前の19年9月期に近づいた理由でもある。コロナ以降に「非自動車部門」の営業開拓に力を入れるようになった。そのため22年9月期では非自動車部門の売上が8%まで増えてきた。非自動車部門の新規開拓がなかったとすると、売上高はコロナの影響を受けた20年9月期と同程度にとどまっていたことを意味する。日豊高速運輸では現在、非自動車部門に課長1人と職長1人を含めて4人を配属している。「非自動車部門の仕事はまだ同業者のアンダーがほとんどだが、売上を増やして従業員の意識改革を進めたい」(出口社長)としている。いうまでもなく今後も自動車部門は大事な経営の柱だが、「もう1本の経営の柱を試行錯誤しながら開拓し、それを通してドライバーにもスキルのマルチ化への意識変化を促していく」(同)。新社屋完成や50周年はその動機づけでもある。

 「大型車は多いがトレーラを扱ったことはない。だが主力の自動車部門でも今後は車両の大型化が進んでトレーラ化が想定される。それに対応するためにも、非自動車部門の開拓とあわせて海コンのトレーラ輸送を始めた」(出口社長)のである。同社が一般貨物輸送の荷主開拓の必要性を初めて痛感したのは14年前のリーマンショックだった。この時は大きな影響を受けたが、賃金カットも人員削減もしないで雇用を守り通した。しかし、自動車以外の開拓の必要性を痛感した。それでも危機克服のために力を入れたのは既存の取引先との関係強化だった。次は、2011年の東日本大震災だ。この時も大きな影響がでた。だが「新規開拓をしないでズルズルときてしまった。少しずつ荷動きが回復してくると、正直なところ既存の仕事の方が楽だったから」(出口社長)である。そして今度はコロナで、「今回は三度目の正直で新規開拓に本気で取り組む」(同)ことにしたのである。

<物流ジャーナリスト 森田富士夫>

(写真提供:日豊高速運輸)