運送事業者レポート
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運送事業者、荷主における新たな取り組みや成功事例にスポットをあてたインタビュー記事。(毎月第1週に更新)

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【第44回】 株式会社ヒッサン(栃木県大田原市)

運送100%から10年かけて多角経営に転換



 地方では地元発の荷物は限られてくる。つまり営業エリアの市場が小さい。そこで運送100%の業務内容では限界があると考え、運送を核とした業務の多角化を図って利益率重視の経営に転換した事業者がいる。このような問題意識をもって多角化を進めてきたのはヒッサン(栃木県大田原市、鈴木秀男社長)。同社は1986年の創立で同年12月に一般区域免許(当時)を取得した。

 当初はトラック運送が100%であった。だが、運送業務100%では適正利益の確保ができなくなるという認識にいたり、業務の多角化に着手したのはかなり早い時期だった。「平成5年(1993年)ごろから多角化の必要性を感じるようになった」(鈴木秀男社長)という。このような考え方に至った背景にはバブル経済の崩壊があるようだ。「バブルが崩壊して輸送量が減少し、輸送量がバブルピーク時より15〜20年前に戻ると想定するとトラック台数の過剰は明らか」(鈴木社長)と考えた。

 多角化の必要性を感じた背景がバブル崩壊なら、多角化に舵を切る直接的なキッカケになったのは、ある荷主からの撤退だった。ある荷主から運賃値下げ要請があり、最初は値下げに応じた。だが、再度の値下げ要請があった1993年に4tウィング車4台をチャーター契約していた荷主から撤退したのである。当時の同社の保有台数は約20台だったので、台数でみると5分の1を占める仕事がなくなったことになる。

 これをキッカケに物流センターの建設などにも着手。当時の売上規模からは思いきった借り入れもして、1994年秋に最初の物流センターを完成している。また、1996年ごろから流通加工も少しずつ始めるようになった。とはいえ、多角化の推進と併行して運送業務でもユニークな運賃契約にも工夫や努力をしてきた。それが1994年暮からはじめた純利益3%保証契約である。最初はこの契約も有効だったが、だんだん難しくなってきた。

 そこで多角化を促進しながら、運賃水準が低く利益のでない荷主の運送業務から少しずつ撤退してきたのである。多角化では、物流センター業務や流通加工などへの進出と同時並行で進めたのが整備業務だった。ヒッサンでは従来から、車両の整備や修理などを社内で行っていた。この整備部門を、一般の整備なども請けるように事業化したのである。整備・修理会社はたくさんある。だが、家内工業的な小規模な整備工場は、経営者兼整備士の高齢化が進み、後継者問題などもあって撤退するケースが増えている。そのような小規模な整備工場のユーザーが同社に移ってくるので、比較的順調に業績を伸ばしてきたようだ。

 3年前には台湾にも自動車整備会社を設立している。また、同社では整備・修理事業だけではなく、新車や中古車の販売、タイヤ販売、その他の事業も行っている。さらに今後も、地元経済、地場産業の特性に合ったような分野の特約店契約なども進めていく。



 その結果、現在の売上高は5億円(2014年3月期)で、売上構成は運送部門が1億7000万円(34%)、流通加工などを含む物流センター部門が1億3000万円(26%)、整備事業やタイヤ販売、その他が2億円(40%)という割合になっている。当期利益は3%である。実は同社はピーク時には売上が6億円あった。運送だけで5億円、その他が1億円である。車両数もピーク時には48台を保有していた。だが「利益が出ているうちに事業を多角化しようと市場転換を図ってきた」(鈴木社長)。

 運送業としてスタートした同社は、社長自身も運送が好きだ。しかし「運送が一番良い。だが、この地域の市場は小さいので物流に関連する分野への多角化を図った」(鈴木社長)のである。運送部門でみると現在の保有台数は22台で、ピーク時の半分以下になったが、これは「赤字では仕事はできないという、昔からの考え方を貫いている」(鈴木社長)からだ。

 一方、物流施設は物流センターが4カ所、流通加工場が1カ所、流通加工した荷物の出荷場が1カ所である。納品先の一つにホームセンターの物流センターがあり、現在は納品をほとんど特積み事業者に委託している。そこで同社では、ホームセンターの物流センターに納品するような荷物を意識的に開拓し、自車両での納品が可能になるように荷物のボリュームを増やしていく考えだ。取扱商品のボリュームが増えれば輸送効率だけではなく、センター内での作業の生産性も向上できるからだ。

 施設の整備は「3年前にさくら配送センターを竣工して一段落した。これからは施設の稼働率をいかに高めるか」(鈴木社長)に力を入れていく方針だ。同社ではトラックの保有台数が減ってきたが、「最近のドライバー不足などからすると、結果的にはトラックが減ったことが良かった」(鈴木社長)ことになる。だが、「運送が好きなので、できれば運送で行きたい」(鈴木社長)ともいう。

<物流ジャーナリスト 森田富士夫>