運送事業者、荷主における新たな取り組みや成功事例にスポットをあてたインタビュー記事
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【第107回】 株式会社マキノ運輸(宮城県気仙沼市)
震災後は長距離をやめ宮城・岩手両県に集中して事業展開
東日本大震災から約8年半が経った。被災地の事業者を不定期に取材しているが、約5年ぶりにマキノ運輸(宮城県気仙沼市、牧野正久社長)を訪ねた。同社は大震災で事務所が全壊し、保有車両33台(4t冷凍車26台、大型10t冷凍車7台)のうち16台(4t車15台、大型車1台)を失った。社長の自宅も全壊したが、幸い従業員は全員無事だった。牧野社長は毎日、全壊した事務所跡に通っていた。従業員たちも同じように誰に誘われるでもなく自然に集まってくる。このような姿を見て2011年3月20日12時に全員を集めて会社の再建を宣言し、仮事務所を拠点に同年6月下旬から事業を再スタートした。それから約8年経った現在の保有車両数は23台。内訳は大型車7台(冷凍車4台、ダンプ3台)、4t車16台(全部冷凍車)である。「震災前と比べると3分の2の規模になり、大型車も4t車も仕事のエリアを宮城県と岩手県に絞り込んだ」(牧野社長)。
マキノ運輸では、震災前より保有車両数は減少したが車両の稼働効率を高め、収益性の高い事業展開をしている。同社は震災前も利益率の高い事業を行っていて、それがいち早い事業再開につながったのだが、その後、事業規模が縮小したことで財務内容が震災前より良くなっているという。大震災で大きな被害を受けながらいち早く事業再建に立ち上がることができたのは、①取引先や社員に恵まれたこと、②経済的条件として内部留保があったからだ。とくに注目すべきは②である。中小事業者でも財務内容の良い経営ができたのは、他社とは異なるいくつかの独自サービスを展開し、収益性の高い経営をしていたからだ。だがその後、それらのサービスから撤退している。地元の気仙沼を始めとする被災地では、この間、復旧・復興が進んでいるものの同時に「物流市場、物流ニーズも変化している。それにともなって従来のサービスは採算的に合わなくなってきた」(牧野社長)。
このように過去に経営の基盤だった事業でも「ダメなものはダメ。新しい市場の変化、ニーズの変化に合わせて対応していくことが重要」(牧野社長)という考えから、この間、業務内容を大きく転換してきた。経営環境の変化に対応できなければ生き残れない。環境変化に対応するには大胆な事業転換が必要である。そこで従来のサービスに替わって、同社では新たな積合せ輸送システムを構築して展開している。大震災で被災した地元の加工メーカーもその後に少しずつ復興してきた。このように立ち直ってきた地元の加工メーカーにとっては、販売先の確保と物流が重要である。マキノ運輸の現在の経営の大きな柱の1つになっているのが、このような加工食品を仙台まで運ぶ仕事だ。同社が取り扱っている地元発の荷物の約70%は加工食品で、輸送先は仙台にある物流事業者の拠点である。同社は仙台までの輸送をして、そこから先の幹線輸送は同業者に任せるというもの。
仙台まで加工食品を運んだ車両は、仙台からはコンビニの店舗に配送される商品やスーパーの商品を積んでくる。スーパーの荷物は物流センターへ、またコンビニの荷物は地元でコンビニの店舗配送をしている事業者に持ち込む。ほとんどは気仙沼への荷を積んで帰るが、一部は石巻、古川(大崎市)、一関の配送事業者に届けるものもある。このように同社が行っているのはいずれも幹線輸送だけだ。なぜ、拠点間輸送だけに絞り込んでいるのか。「拠点間輸送に絞っているのは店舗配送をやるとドライバーも車両も別に必要になるから」(牧野社長)である。現在のドライバーは25人で、保有車両数が23台なので、車両台数よりも2人多いことになる。このようにドライバーの確保がまずまずなのは、「主力が4t車で1日仕事だから」(牧野社長)というのが大きな理由のようだ。だが、店舗配送に進出すると車両もドライバーも新たに必要になる。
この地元からの加工食品輸送では盛岡に持ち込むものもある。気仙沼から盛岡の同業者のセンターに運び、盛岡からの帰り荷としては、やはりコンビニの荷物などを北上、花巻、一関などに拠点間輸送して帰るという運行である。一方、岩手県の仕事は鶏卵の輸送だ。田野畑村にある養鶏場から出荷される原料卵を、水沢(奥州市)にある鶏卵工場に運ぶ。原料卵は水沢の工場で洗浄され、大きさなどによって選別されて、スーパーなどで売っているパックに詰められる。気仙沼のスーパーの店舗で販売されるこの製品卵を、水沢の工場から運んでくるのが仕事である。この鶏卵の仕事については、気仙沼市内における店舗配送までの業務を一貫して受託している。このように同社では震災前よりも規模が縮小したが、車両の稼働効率の向上に努め、収益性の高い経営をしている。同社では震災前に描いていた事業構想があり、今後は適正な利益率を保ちながら事業拡大を図っていく方針だ。
<物流ジャーナリスト 森田富士夫>